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Amazing Grace
“Amazing Grace”という讃美歌の歌詞は、作詞者であるジョン・ニュートンの経験が元になっている。
イギリス人の彼は敬虔なクリスチャンの母親に育てられた。
その母親は彼が7歳のときに亡くなっている。
彼の父親は商船の指揮官だった。
成長した彼も父親と同じ船乗りになった。
そして、様々な船を渡り歩いた後、彼は大金を稼ぐようになる。
黒人奴隷を輸送する船の船員となり、奴隷貿易に関わるようになったのだ。
彼が何故そんなことに手を染めてしまったのか、それはわからない。
どんな手を使ってでも、とにかくまとまったお金を稼ぎたい、そう考える何らかの理由があったのだろうと思う。
ある日、そんな彼に事件が起こる。
船が嵐に遭って浸水し、転覆の危険に陥ったのだ。
そのとき彼は転覆寸前の船の中で死を目の前にし、生まれて初めて心の底から神に祈った。
すると、たまたま積み荷が穴をふさいで浸水が弱まり、船は奇跡的に転覆を免れた。
“Amazing Grace”という讃美歌は、「奴隷貿易に関わっていたこんなどうしようもない自分にすら、神は赦しを与えてくれた」という神の愛への感謝を歌ったものなのだ。
”アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる”
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神様にもできぬこと
演劇を見に行った。
僕の高校時代からの友人が主催している劇団「rocketRoid」の舞台である。
『神様にもできぬこと』というタイトルのこの舞台は、神様を演じる女の子が“Amazing Grace”を歌うシーンから始まる(結構な美声だ)。
小説家を目指しているがなかなか世間に認められない主人公の青年は、ニュートンと重なる。
自分を見失い、悪を行ってしまう。
ダークサイドに堕ちてしまった彼に対して、神様は何もできなかった。
実は、ニュートンを救ったのも、神ではなかった(と僕は思う)。
ニュートンが奴隷船を降りたのは嵐に遭った6年後、病気が理由である。
もし神様の力だったとしたら、6年も奴隷船にほったらかしておく理由がわからない。
嵐から彼の命を救ったのは、神様なのかもしれない。
しかし、彼が真の改悛に至ったのは、神様の力ではない。
舞台で、“神様ができぬこと”は3つある、と物語の序盤で説明される。
①死んだ者を生き返らせたり、なくなったものを元に戻したりすることはできない。
②時間を巻き戻しすることはできない。また、止めることもできない。
③人の意思を操ることはできない。
本編の中でとりわけ重要なのはもちろん3つ目である。
人間には自由意思がある。
ニュートンが奴隷船から降りるのに6年かかったというのは、ニュートンが「降りる」という意思決定をするのに6年かかったということだ。
結局、ダークサイドから這い上がるために必要なのは、神の力ではなく、その人の意思ということである。
この物語最大のメッセージ
舞台の主人公は、物語のラスト直前で事故に遭う。
急いでいて道路に飛び出し、自動車に轢かれてしまった。
病院のベッドに横たわる彼の元に神様が現れる。
そして彼に言う。
「あなたが願うなら、あなたの怪我を治すことができるわよ」
彼は答える。
「そんな願いは、思いつきもしなかったよ」
そう言って神様の申し出を断り、こう続ける。
「僕は、僕の身に起こった全てのことを受け容れる」
「神様にもできぬこと」という舞台の最も大きなメッセージはなんだったのか。
それは、自分の意思で行動し、その結果起こったことは全て受け容れろ、ということだと思う。
人が幸せになるためには、その人が自分の意思で行動するしかない。
「化物語」の忍野メメの言葉を借りれば、
「人は一人で勝手に助かるだけ」
なのだ。
自分の意思で行動すれば必ず幸せになれる、わけではないだろう。
しかし、他人に幸せにしてもらうことはできない。
なぜならそれは、「神様にもできぬこと」なのだから。
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