2010年頃から少しずつ見かけるようになり、
いまやいることが当たり前になったディズニーのキャラクター、
「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」。
「え?2010年から?もっと前からいなかったっけ。。。
それにしてはレトロなデザインのキャラクターだなぁ」
と、なんだか不思議に思いませんか?
(私は思いました!)
調べてみたところ、
オズワルドが登場する映像作品が最初に作られたのは、
1927年。
ミッキーマウス登場よりも前であることがわかりました。
そして、
ディズニーのキャラクターであるはずのオズワルドには、
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに
登場していた時期があることもわかりました。
(グッズも売られていました)
この記事では、
ウォルト・ディズニーがミッキーマウスよりも
前に生み出したにもかかわらず、
なぜオズワルドは2000年を過ぎるまでディズニーのテーマパークに
出てくることができなかったのか。
そして、
なぜユニバーサルのテーマパークに登場していたのか。
その理由をまとめていきたいと思います!
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そもそもオズワルドってどんなキャラクターなの?
冒頭にも書きましたが、
「オズワルド」の正式な名前は、
「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」です。
最近はあまり耳にしませんが、
「しあわせウサギのオズワルド」
と、邦訳して呼ばれることもあります。
猫のキャラクター「オルテンシア」が、
ガールフレンドのひとりです。
オズワルドが誕生したのは1927年。
ウォルト・ディズニーとその盟友である
アブ・アイワークスによって生み出されました。
オズワルドは、二作目のアニメーションである
『トロリー・トラブルス』の大ヒットですぐに人気者になり、
その後約1年間で26作品ものアニメーションが制作されました。
オズワルド作品からは、
その後生み出されるミッキーマウス作品に通じる
ストーリーや演出、ギャグのアイデアを見出すことができます。
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オズワルドがディズニーの手から離れてしまったのはなぜ?
さて、順風満帆なスタートを切ったオズワルドですが、
ここから悲劇が始まります。
この頃のウォルト・ディズニー社はまだ小さなアニメスタジオでした。
配給を自社で行うことはできません。
そのため、
オズワルドのアニメーションの制作は、
ウォルト・ディズニー社で行っていましたが、
配給に関しては、
チャールズ・ミンツ社のチャールズ・B・ミンツを介して、
ユニバーサル・ピクチャーズ社で行っていました。
このような背景の元、
オズワルドが生まれてから約1年後の1928年2月、
ウォルトは契約に関する交渉を行います。
結婚3周年記念のニューヨーク旅行を兼ねて
ユニバーサル・ピクチャーズ社に出向き、
一向に上がらない制作費の値上げを要求したのです。
これに対してユニバーサルは、
「オズワルドの所有権はミンツとユニバーサルにあるため、
オズワルド作品の勝手な制作は許さない」
「さらに制作費を下げないとアニメーターを引き抜く」
と回答。
オズワルドの法律上の所有権を持っていたのは、
生みの親であるウォルト・ディズニー社ではなく、
配給元のユニバーサル・ピクチャーズ社だったのです。
契約交渉は決裂。
作品を制作する契約は終了となり、
オズワルドの所有権を持たないウォルト・ディズニー社は、
オズワルドに関するすべての権利を失うこととなりました。
余談:権利関係に厳しいディズニー
ユニバーサルとミンツが、
最初からオズワルドの横取りを
狙っていたのかどうかまではわかりません。
しかし、
オズワルドを「奪われた」ウォルトは、
我が子を失ったような
悲痛な気持ちだったのではないでしょうか。
ここからは余談ですが、
「ディズニーは権利関係にうるさい」
というのは有名な話です。
「ミッキーマウス保護法」などと皮肉られたり、
一昔前までは、
ディズニーランドで撮影した写真をブログに載せると、
必ずディズニー社から削除依頼が来る、
なんていう噂もありました。
この噂の真偽はともかくとして、
ディズニーの権利意識の厳格さは、
このオズワルドをめぐる事件がきっかけだと言われています。
余談②:ミッキーマウス誕生
もうひとつ余談ですが、
ウォルトとユニバーサルの交渉が決裂した際、
両者を仲介していたミンツは
ディズニー社からの従業員引き抜き工作を仕掛けました。
その結果、ウォルト・ディズニー社に残ったのはなんと3人のみ。
ウォルトとアブ・アイワークス、ウォルトの兄。
オズワルドだけでなく、
優秀なアニメーターをも失ってしまったのです。
しかも、契約上8月までにさらに4本のオズワルド作品を
制作しなければなりませんでした。
そんな逆境吹き荒れる中、
ウォルトとアブは新たなキャラクターを誕生させます。
ミッキーマウスです。
ミッキーマウスのスクリーンデビューは1928年の11月18日。
オズワルドの事件から約9か月後のこと。
この状況の中、1年足らずで世界的なキャラクターを生み出すとは、
ウォルトとアブの実力は神がかっているとしか言いようがありません。
オズワルドに関する謎の答え
さて、
話を戻しましょう。
ここまでの話で、
冒頭で上げた疑問点である
・オズワルドがユニバーサルのテーマパークに登場していた理由
に対する回答ができます。
「オズワルドの所有権をユニバーサルが持っていたから」
です。
ただ、まだスッキリしません。
気になることが残っています。
・ディズニー社は、どんな方法でオズワルドを取り返したのか
この2点について、
書いていきたいと思います。
ユニバーサルのキャラクターだった頃のオズワルド
ジョージ・ウィンクラーによる制作
1928年にウォルト・ディズニーが制作から離れた後、
制作を引き継いだのはミンツの親族であるジョージ・ウィンクラーです。
ジョージを中心に、ディズニー社から引き抜いたアニメーターで制作を継続。
1929年に制作した『ヘン・フルーツ』という作品で、
オズワルド作品史上初のトーキーを実現しました。
ちょっと話を脱線させます。
“moving picture”から”movie”という言葉が派生したことにならって、
“talking picture”を元に”talkie”と呼ばれるようになりました。
脱線終わり。
ウォルター・ランツによる制作
しかし、この体制は長くは続きません。
ユニバーサル・ピクチャーズ社設立者のカール・レムリによって、
ユニバーサル・ピクチャーズ社直営の制作体制にするよう指示が入ったためです。
オズワルド作品史上初のトーキーを実現していたにもかかわらず、
1929年、カール・レムリの指名でウォルター・ランツが
オズワルド作品の制作を担当することになりました。
ここからオズワルドのキャラクターデザインは
少しずつ変更されていきます。
「より表情を鮮明にした方がいいのではないか」
「より自然なデザインにした方がいいのではないか」
という意図だったり、
すでに人気が出ていたミッキーマウスを意識したり、
理由はありましたが、
最終的に至ったデザインはこちら。
まったく違うキャラクターになってしまいました。
「このデザインのオズワルドは人気があったんですか?」
⇒ありませんでした。
キャラクターデザインの変更は観客から不評でした。
また、1939年にアンディ・パンダが、
1940年にウッディー・ウッドペッカーが
ウォルター・ランツのオリジナルキャラクターとして成功。
こうした状況から、
1943年を最後にオズワルド作品は制作されなくなってしまいました。
オズワルドはどうしてディズニーに帰ってこられたの?
オズワルド作品が制作されなくなってから
半世紀以上の時が流れた2006年、
オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットが
ディズニー社に帰ってきました。
帰ってこられた理由には、
意外なことにアメリカンフットボールが関係しています。
どういうことなのか、
それをこれからお話しましょう。
オズワルドとアメリカンフットボール
日本で「アメフト」と呼ばれている
アメリカンフットボールのリーグの正式名称は、
NFL(National Football League)です。
アメリカで最も人気があるスポーツと言われています。
そんなNFLにはふたつの放送枠、
日曜夜放送の『サンデーナイトフットボール』
月曜夜放送の『マンデーナイトフットボール』
があります。
元々、
『サンデーナイトフットボール』の放送枠は
スポーツ専門チャンネルのESPNが、
『マンデーナイトフットボール』の放送枠は
地上波のABCという放送局が持っていました。
なんと、このESPNとABC、
両方ともウォルト・ディズニー社の傘下です。
(この点がこの話の重要なポイントのひとつです)
しかし、
ABCが2005年シーズンを最後に『マンデーナイト』から撤退することを表明。
ESPNが『サンデーナイト』を手放して『マンデーナイト』へ移行、
空いた『サンデーナイト』の放送枠には
地上波のNBCという放送局が新しく入ることになりました。
NFL中継から撤退することになったABCには、
長年『マンデーナイト』の顔として活躍してきた名コンビがいました。
ジョン・マッデンとアル・マイケルズ。
ジョン・マッデンは元フットボール選手の解説者、
アル・マイケルズは実況を担当していたABC所属のスポーツアナウンサー。
『サンデーナイト』の放送枠を得たNBCは、
ABCからジョン・マッデンとアル・マイケルズの名コンビ、
さらに『マンデーナイト』の主要スタッフを引き抜きます。
解説者のジョン・マッデンはいいとしても、
ABC所属のアナウンサーであるアル・マイケルズは、
簡単に引き抜ける人材ではありません。
日本で言うと、
フジテレビのアナウンサーを日本テレビが引き抜くようなものです。
そこで、
NBCはアル・マイケルズを引き抜くための交換材料として、
以下のふたつのものを提供することになりました。
1.オリンピックのハイライト番組放映権
→ESPNに譲渡
2.「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の所有権
→ABC・ESPNの親会社であるウォルトディズニー社に譲渡
こうして、
「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」は、
半世紀ぶりにウォルト・ディズニー社に帰ってくることができたのです。
NBCがオズワルドの所有権を持っていたのはどうして?
さて、
ひとつだけまだ疑問が残っています。
どうしてNBCはオズワルドの所有権を持っていたのでしょうか。
現在、ユニバーサル・ピクチャーズは、
ユニバーサル・スタジオという名前で、
「NBCユニバーサル」というメディア・エンターテインメントグループの
傘下に入っています。
名前から察することができますが、
アル・マイケルズを引き抜いたNBCも、
「NBCユニバーサル」に所属している会社です。
これでアル・マイケルズ引き抜き交渉の際に
オズワルドというカードを切ることができた理由がわかったと思います。
一歩引いてみてみると、
この取引を行ったのはABCとNBCではなく、
それぞれの親会社である
「ウォルト・ディズニー社」と「NBCユニバーサル」だったということです。
それにしても、
一見なんの関係もないように見える
NFLの放送権やアナウンサーをめぐる交渉事をきっかけに
ディズニー社に帰ってくることができるなんて、
オズワルドというキャラクターは本当にツイている、
その名の通り「ラッキー」なキャラクターです。
オズワルドがエピックミッキーに出演
ちなみに、
2011年に発売されたWii用ゲームソフト
「ディズニー エピックミッキー 〜ミッキーマウスと魔法の筆〜」
というゲームにオズワルドが登場するのですが、
このゲームのシナリオが非常に切ない内容になっています。
主人公のミッキーマウスは、
ある日突然鏡の先の世界に連れ去られてしまうのですが、
そこは「ウェイストランド」という
忘れ去られてしまったディズニーキャラクターたちが暮らす世界だった、
というストーリーなのです。
この物語の中でオズワルドは、
本来はオズワルドのものだったはずの栄光を、
ミッキーに奪われてしまったキャラクターとして登場します。
オズワルドや、
他の忘れ去られてしまったキャラクターたちの視点に立った、
素晴らしいシナリオです。
ぜひ一度ゲームをプレイしてみてください。
ディズニー返還後のオズワルド
オズワルドを取り返したボブ・アイガーCEO
『オズワルドを取り返せ』
ディズニー社のCEOには、代々こんな引継ぎがなされてきた
という噂があります。
実際、
「アル・マイケルズ放出の代わりにオズワルドを提供させよう」
というアイデアを出したのは、
当時のウォルト・ディズニー社のCEOボブ・アイガー
だったと言われています。
このボブ・アイガー、
ウォルトの娘であるダイアン・ディズニー・ミラーに対して
「オズワルドを取り戻したい」
と、CEOに就任時に語ったそうです。
しかも、
オズワルドのディズニーのパーク世界初登場は
2014年4月1日東京ディズニーシーだったのですが、
この日、ボブ・アイガーは家族とともに東京ディズニーシーに来ていた
という噂もあります。
これまで見てきたオズワルドをめぐる奇跡のようなお話の裏側には、
オズワルド奪還を狙うディズニー社の執念があったのかもしれません。
オズワルド作品はここで見られます!
それはさておき、
これまで紹介してきたようなドラマがあったとなれば、
オズワルドの映像作品を見てみたくなるのではないでしょうか。
ウォルト・ディズニーが制作した26のオズワルド作品のうち、
13作品を収録したDVDが
「ウォルト・ディズニー・トレジャーズ」シリーズのひとつとして
2008年に発売されました。
このDVDには、オズワルドが人気者になるきっかけとなった作品
「トロリー・トラブルズ」も収録されています。
これらの作品は「ディズニーチャンネル」で放送されることもありますので、
もしこのチャンネルを見られる環境があるのであれば、
放送予定がないかどうかチェックしてみてください。
また、
ディズニーチャンネルで放送されている
『ミッキーマウス!』という短編アニメーションにも
オズワルドがゲストキャラクターとして登場することがあります。
これはすでに見ているかもしれませんが、
日本で2014年に公開された映画『アナと雪の女王』と同時上映された
『ミッキーのミニー救出大作戦』にもオズワルドが出演しています。
数秒間の出演ではありましたが、
この出演が返還後初のアニメーション作品への出演でした。
日本で発見されたオズワルドの行方不明フィルム
ちなみに、
ウォルト・ディズニーが制作したオズワルド作品は26作品ですが、
実は、このうち6作品は現在も行方不明です。
2018年に行方不明になっていた作品のひとつである
「Neck ‘n’ Neck」というタイトルのフィルムが
日本のアニメ史研究家である渡辺泰さんの所蔵品から発見されました。
現在そのフィルムは神戸映画資料館で保管されています。
こうやって、
少しずつでもすべてのオズワルド作品が発見されて、
いつかすべての作品を見られる日がくると良いなと思います。
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