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壱の巻:金戒光明寺
(1)概要
「くろ谷さん」の名で親しまれる浄土宗の大本山。法然上人が初めて草庵を結んだ地で、幕末の京都守護職を務めた会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地。ちなみに、タクシーで訪問するなら、「くろ谷さん」で行き先を告げた方が良いかもしれない。
①アクセス
市バス「東天王町」下車徒歩15分
②拝観料 無料
(2)新撰組との深い関係
①京都の混乱
1862年、徳川幕府は混乱する京都の治安の回復のために、京都守護職(京都の治安維持部隊)を設置した。その主要なメンバーに選ばれたのが、会津藩主の松平容保であった。また、その本陣として、金戒光明寺が選ばれた。
②なぜ本陣として選ばれた?
ア)理由1(城構えの寺である)
この寺は、大軍が一度に入ってこられないように南には小門しかなく、西側には立派な高麗門が城門のように建てている。つまり、お城のような設計がなされているのだ。また、小高い岡になっていることから自然の要塞になっており、見晴らしがよい。
イ)理由2(要所に近い)
御所まで約2㎞、東海道の発着点までは1.5㎞のくだりであり、馬で走れば約5分、人でも急げば15分で到着できる要衝の地に近い立地であった。
ウ)理由3(千名の軍隊が駐屯できる)
約四万坪の大きな寺域により一千名の軍隊が駐屯できた。
(3)若者が「密かに」集まる金戒光明寺?
①五劫思惟阿弥陀仏(アフロ石仏)
気の遠くなる時間修行した結果、髪が伸び螺髪が積み重なったための姿をした石仏。全国でも16体ほどしかみられないといわれる。
②なんでこうなったの?
「無量寿経」(大乗仏教の経典の1つ)によると、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、人間を救わんと五劫の間、ひたすら思惟をこらして、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時の姿をあらわしたものが原型とされる。なお、落語の「寿限無寿限無、五劫のすり切れ」はここからきている。
③留意事項
このアフロ石仏の場所は分かりにくいが、それを探して広い境内をウロウロしてもらいたい。アフロ石仏だけでなく、新撰組や会津藩士にも思いを馳せていたら、必ず見つけることができる!彼らは、今は静かに「三重の塔のふもと」に眠っている。
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