阪神甲子園球場の中で、
高校野球のときにそれぞれの応援団が陣取るエリア、
内野席と外野席のちょうど境目あたりのエリアを
「アルプススタンド」
と呼ぶことは有名です。
「アルプススタンド」というのは、
実は阪神甲子園球場にしかありません。
他の球場には存在しない、特別な呼び名なのです。
それでは、なぜ、阪神甲子園球場のあのエリアのことを
「アルプススタンド」
と呼ぶようになったのでしょうか。
その由来を調べてみました!
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「アルプススタンド」の由来
調べる前にどんな由来なのかをちょっと考えてみました。
「きっと、アルプス山脈がある方角のスタンドだからだ!」
という、説を思いついたのですが、
一塁側にも三塁側にもアルプススタンドはあるので、
これは確実に正しくない説でしょう。(笑)
「アルプススタンド」と「アルプス山脈」にはどういう関係があるの?
甲子園球場の、現在アルプススタンドと呼ばれている辺りは、
完成当時、木造20段の席数しかありませんでした
その後、収容人数を増やすために、
内野スタンドと同じコンクリート50段に拡張されました。
1929年のことです。
その1929年の夏の甲子園(この頃はまだ中学野球です)、
拡張されて50段になったスタンドには、
白いシャツを着た野球ファンで溢れかえりました。
20段から50段に高くなったスタンド、
そのスタンドを埋め尽くす白いシャツ、
この様子を、雪で白く染まったアルプス山脈に喩えた人がいたのです。
そしてこのことを、
人気漫画家の岡本一平さんが、
当時『朝日新聞』に持っていた連載に風刺漫画として書いたのです。
「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」
漫画にはこの一文がつけられており、
これがきっかけで「アルプススタンド」という呼び名が広まりました。
最初は通称だったこの呼び名は、
今では球場公式の呼び名となっています。
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最初にスタンドを「アルプス」と喩えたのは誰なのか?
さて、「アルプススタンド」という呼び名を広めたのは、
岡本一平さんであることは間違いないのですが、
どうやら最初にスタンドを「アルプス」と喩えたのは、
岡本一平さんではないようです。
それでは、このセンス抜群の喩えを最初に思いついたのは一体誰なのでしょうか?
藤木九三さん説
まず有力な説として、
登山家で、岡本一平さんが連載を持つ朝日新聞の編集局員でもあった、
藤木九三さんが最初にアルプスと喩えたのではないか、
という説があります。
藤木九三さんは、日本のロッククライミング界のパイオニア的存在で、
西ヨーロッパ最高峰のモンブランにも登頂しています。
登山家である藤木さんが、
白く高くそびえたつスタンドを見てアルプス山脈を連想することは、
とても自然なことのように思えます。
また、兵庫県にある六甲山の岩場をロック・ガーデンと命名していることから、
ネーミングセンスもありそうです。
岡本太郎さん説
もうひとつ有力な説として、
大阪の万博記念公園にある「太陽の塔」や、
「芸術は爆発だ」という言葉でお馴染みの、
岡本太郎さんが最初にスタンドをアルプスと形容したのだ、
という説があります。
「なぜここで岡本太郎?」
と思うかもしれませんが、
先ほど出てきた漫画家の岡本一平さんは、
岡本太郎さんのお父さんなのです。
親子であれば一緒に甲子園に野球観戦に行っていてもおかしくありません。
そして、あの岡本太郎さんであれば、
たとえその頃まだ幼少であったとしても、
「なんかアルプスみたいだね」
と言ってもおかしくはないのでは、と思います。
どちらの説が正しいのかは、未だわかっていません。
これからも判明することは、おそらくないでしょう。
初めてスタンドを「アルプス」と形容したのが、
藤木九三さん、岡本太郎さん、どちらであったとしても、
今もなお親しまれているほどの、
素晴らしいネーミングであることは間違いありません。
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