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壱の巻:銅閣寺
(1)概要
正式名称「龍池山 大雲院」は1587年に織田信長、信忠親子の菩提を弔うために天皇の勅命により建立。寺の名前は大雲院。創建当初は御池御所、現在の烏丸二条の位置にあったが、豊臣秀吉が寺町四条に移転し、その後1973年に現在の祇園・東山界隈の位置に移転した。通常は非公開なので、外から眺めることになる。
(2)銅閣寺と大倉喜八郎
昭和になって大雲院が移転してきた現在の場所は、もともと大倉喜八郎の別荘であった。大倉喜八郎は、大成建設や鹿鳴館、帝国劇場、帝国ホテルの創始者でもある。
金満家であった大倉氏は、金閣や銀閣に加えて、銅閣を自分の別邸の敷地に建設し、京都の名物にすることを考えた。
設計者は、築地本願寺や平安神宮を設計した昭和初期の代表的な建築家・伊藤忠太。祇園祭の山鉾をモチーフにし、その形から「祇園閣」と命名されている。たくさんお金を持つと銅閣を作りたくなるのだ。屋根は銅板葺きにされており、いわゆる銅閣が1928年に建てられた。その完成後、1973年にこの場所へ大雲院が移転してきたので、「祇園閣」は大雲院の所有となった。それゆえ、「大雲院=銅閣寺」ということになったのである。
(3)その他
入口に掲げられている「祇園閣」の文字は西園寺公望の書。また、大雲院の境内には墓所があり、織田信長親子の墓や江戸時代の大泥棒で有名な石川五右衛門の墓もある。祇園という最高の立地にも関わらず、あまり認知度が高くないのか、目を向けることなくスルーして前を通っている観光客が多い印象があるので、是非とも立ち寄ってもらいたい!
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