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壱の巻:神泉苑
(1)概要
794年桓武天皇が平安京の造営に際して、苑池を設けた。その池は、常に清泉が湧き出すことから神泉苑と名づけられた。その規模は現在の神泉苑の約10倍で、日本初の花見の宴が催された場所。神泉苑には龍穴(りゅうけつ)があり、その穴は異界に通じて大地の気が溢れ出し、池の水は日照りでも涸れることがなく、人々は龍神の棲み処だと考えていた。応仁の乱後の後、荒廃する。
(2)龍王伝説
嵯峨天皇(在位809~823年)の御代、京都はひどい干ばつに見舞われた。そこで雨乞いをすることになり、白羽の矢が立ったのが、東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)僧都だった。僧侶たちは法力で雨乞い対決をした。先に守敏が祈祷するが、雨は大地を潤すほどには降らなかった。次に空海が祈祷する。だが、守敏僧都が呪法で龍神たちを水瓶に閉じ込め、邪魔をした。唯一、北天竺(インド北部)の善女龍王のみが守敏の呪法を免れていたのを空海が見抜いて勧請すると、水瓶は壊れ、善女龍王は金色の龍となって天に昇り、たちまち雨を降らせて都を救った。以来、神泉苑は雨乞い修行の中心地となった。
(3)祇園祭の発祥の地
863年(元号:貞観)に京都では疫病が大いに流行り、神泉苑で朝廷による御霊会が行われた。 そこでは、経典の読経や、雅楽の演奏、稚児の舞、雑技などが行われ、その様子は民衆だけでなく、天皇も見学したと言われている。また、貞観の時代には大地震や富士山の噴火など、全国的に災いが相次ぐ状況でもあり、869年には全国の国の数、66本の鉾を立て、 祇園社(八坂神社)から神泉苑に御輿を送り、厄払いをしたと言われている。後世には、これが町衆の祭典として受け継がれ、 鉾に車を付けると共にそれに装飾を施して京の都を練り歩く、祇園祭へと姿を変えることとなった。
(4)恵方社
善女龍王社の南にある社。日本で唯一「くるくる回転する」社として有名である。祀ってあるのは歳徳神(としとくじん)。陰陽道では福徳の神様とされ、歳徳神は恵方からやって来るとされている。それを迎えるために、神泉苑では毎年、社の方角を変えている。
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