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壱の巻:六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
(1)概要
平安時代初期に空海の師である慶俊僧都(けいしゅんそうず)によって開基された。寺院が建っている場所は、かつて鳥辺野と呼ばれる葬送地の入り口であった。そのため、この寺院があの世への入り口である六道の辻と信じられ、今昔物語の中には六道珍皇寺があの世と繋がっているという話がいくつも残されおり、現在もあの世とこの世を繋ぐ寺として、人々の信仰を集めており、「六道まいり」の実施がそれに現れている。
(2)六道まいり
京都では8月7日から10日までの4日間に精霊を迎えるために六道珍皇寺に参詣する風習がある。これを「六道まいり」と言う。 これは6つの冥界を輪廻する先祖の霊を十万億土の冥界へも響き渡るという梵鐘の「迎え鐘」で現世へ迎えて供養するお盆の行事である。是非とも鐘を突いてみよう!
(3)小野篁と閻魔大王
平安時代の貴族であった小野篁(おののたかむら)は嵯峨天皇に仕える優秀な官僚であったが、夜は閻魔庁に出仕して閻魔大王に仕えているといわれていた。六道珍皇寺の境内には彼が冥界に行くため、そして現世に帰るための2つの井戸が残されているので、是非とも見てもらいたい。また、小野篁と閻魔大王の像も見ることができるので、一度立ち寄ってもらいたい。
(コメント:井戸は遠くからしか見えない)
(4)幽霊子育飴(ゆうれいこやすあめ)の伝説
昔、六道の辻に一件の飴屋があった。ある夜、髪を長く垂らし、肩を落とした一人の女が飴を買いに来た。 主人が茶碗にもった水飴を渡すと、女は三文をおいて立ち去っていった。 翌日、主人が銭箱を見ると、昨晩の女からもらった三文が木の葉三枚に変わっていたという。その夜、昨晩の女が再び現れ、やはり水飴を買っていった。こういう日が何日も続いたので、不審に思った飴屋の主人はその女をつけると、女は墓場に消えていった。 その事を寺の和尚に聞かせると、10日程前に若い女を埋葬したという。その墓を確かめると、若い女の死骸の上で水飴をなめながら泣いている赤ん坊がいた。この女は赤ん坊のために毎夜、水飴を買いに来ていたのだ。
この話に出てくる飴屋は現存しており、赤子に与えてされていた水飴も「幽霊子育飴」として販売されている。昔ながらの懐かしい味であり、この話を思い出しながら一度口にしてもらいたい。
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